• COLOR-P

毎日が一歩一歩



生まれてすぐに立ちあがる動物もいれば

人は歩くまでに1年近くかかる

生きていく上で大切な

「食べる」「寝る」 

それさえも人間は本能だけではなかなか身につかない

人はできるようになって生まれてくるわけではなかった

一歩一歩学んでいるのだ


『すべてが一歩一歩』

そう思ったら なんだか毎日が宝物に感じた。


保育歴18年。

まぁまぁベテラン保育士だった私は

妊娠、出産は初めてでわからないことだらけだったけど

子育てに関しては少しばかり自信があった。


『子どもにとってなにが大切なのか』

たくさんの子どもたちと接しながら学んできた日々。

子どもの専門家としてとことん追求しながら誇りを持ってやってきた。

今度はそれを我が子に伝えていく時。

ずっとずっと思い描いていたことが叶ったようなわくわくしかなかった。



とりあえず布おむつを用意した。

母乳で育てるつもりで哺乳瓶は用意しなかった。

手作りのおくるみを作った。

(ぬいぐるみも挑戦したが間に合わなかった…笑笑)


父ちゃんはがっちゃんに本棚を作ってくれた。


リサイクルが盛んな屋久島では、友達や島内のリサイクルサイトでほとんどのものが揃った。

甥っ子や姪っ子も自分が大切にしていたおもちゃをたくさんくれた。

ありがたいことに教え子までお下がりをくれた。

なんだか子育てのバトンを渡してもらってるみたいでそれがまた嬉しかった。


子どもに優しいもので

ぬくもりがあるもので

丁寧に子育てをする

1つ1つがっちゃんの身の回りのものを揃えながらそんなことをイメージしていた。



だけど

やっぱり私も1年生だった。

なかなか思うようにいかない子育て。


保育士だろうが

看護師だろうが

憧れの誰だろうが

みんなお母さんになれば1年生。

子どもと一緒に一歩一歩の毎日。

不慣れでわからなくて泣いて…

でもそれが逆にとても愛おしく感じた。

我が子と共に私も母親になっているのだ。



今回は

お母さん1年生で過ごしたかけがえの毎日と

がっちゃんの育ちの中で知った一歩一歩の話。




《母乳は戦いだった話》

赤ちゃんが生まれたら自然と母乳は出るものだと思っていた。

確かに出る人もたくさんいる。

けれど私は母乳が出なかった…。

がっちゃんもなかなか私の乳首をうまくくわえられない。

毎回測る体重は全く増えない…。

一生懸命絞り出しても出てこない空っぽの哺乳瓶を見ると

母乳で育てると張り切っていた私は母親の役割を果たせていない気がして

涙が止まらなくなった。

そして結局退院の時まで出なかった…。

「そのうち出るようになるから大丈夫ですよ。」と看護師さんは励まされ退院したものの

心配でおっぱいマッサージの病院をすぐに探した。

哺乳瓶は買ってなかったから慌てて買いに行った。

私があまりにも心配してるのを悟ったのか、なぜか退院した次の日に今度は急におっぱいが張り出した。

びっくりするくらいにはってきて、痛くてたまらなくなった。

母乳は作られるようになってもがっちゃんがうまく吸えないので出てこない。

おっぱいは張っていく一方で痛くてたまらない。

おっぱいのマッサージの仕方と乳首を守るテーピングの仕方を教わった。

聖母マリアのおっぱいではなくボクサーの試合の後みたいなおっぱいになった!笑笑

母乳は戦いだった!

毎日マッサージして乳首の傷口を消毒して「痛ーい…」と悶絶しながらあげる。

また3時間後には痛みをこらえて母乳をあげる。